電子の雑煮

レポートが苦手な大学生です。苦手を克服するためにレポートを公開したいと思います。

いよわ『バベル』(2023)についての考察

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・いよわさんの『バベル』(2023)という作品を聞いてみたところ、非常に感動して色々考察を試みてしまいました。その考察の殴り書きが貯まったので公開してみます。拙い内容かもしれませんが、同様に想像力を搔き立てられた方がいましたら、読んでくださると嬉しいです。

・今回の曲のテーマは、「大人になった少女」と「少女の周囲の景色に対する感じ方の推移」を主題にしているように思われる。

・繰り返し現れる「塔」の表象はまず、少女の周囲の建物を指している。時にそれは、『旧約聖書』の「バベルの塔」のエピソードのように、ある種少女にとって、傲慢で、強引で、それに圧倒されるほかないほどの力で、比喩として圧倒するものとして立ち現れる。

・「商店街の向こうには ショッピングモールが建ったんだよ」という歌詞からは、少女が小さい頃、商店街をよく利用していたことを想像させる。少女は商店街のどこかのお店の子どもだったのだろうか。それとも近くに住んでいたのだろうか。少なくとも少女は、商店街の駄菓子屋さんあたりで買える、素朴な味の「チューペット」が好きだったようだ。その思い出と対比されると、「ショッピングモール」は、少女の思い入れのある場所を破壊する「バベル」を意味することになる。しかし、ショッピングモールの側も、別に少女に悪意を持ってそこに建てられたわけではない。あるとすれば、それは時代の移り変わりという残酷さだけだろう。

・少女は「注目の的だったマドンナ」や「昔はまったアイドル」など、周囲の女性に憧れを持っていたことを繰り返し述べている。「儚い憧れ積もる 積もる」といった歌詞も、そういう人たちへの憧れを指しているのかもしれない。時間が経った今、少女は自身を「珍道中」だと自虐的に揶揄している。まだまだその距離は遠いと、少女は考えているのかもしれない。少女と憧れの存在の間の距離感、これもある種の「塔」の比喩だと言えそうである。

・アイドルの話の続きで、「隣町の駅で 泣きながら祝ったんだよ 」という歌詞からも、当時の少女の思い出を想像できるかもしれない。「隣町の駅」には、同じアイドルのファンの友人が住んでいたと仮定してみよう。2人はアイドルの卒業ライブに行った帰り、その駅で降りて、ライブを振り返って泣き合った思い出があるかもしれない。少女は自分の住んでいた街に、様々な思い出を持っていることがうかがえる。

・「ぴかぴかになった 夢のクローゼット眺め考え中」という歌詞には、いよわさんの以前の作品、『アプリコット』(2021)における、少女時代への憧憬のイメージを、そこに重ねることができる。クローゼットの中には、当時のあらゆる夢が詰まっている。これは『アプリコット』における「宝箱」の一種とも言えよう。少女の想いはここに全て詰め込まれていた。少女は今に至って、その現実とのギャップを、考えを巡らせて埋めようとしている。少女はこんな自分を「馬鹿だ、本当にさ。」と感じることもあるのかもしれない。しかし、こうやって突き放したくなるほどの強い想いを回想すること、それを共有することこそが、作者の目的でもあるように推測される。少女の(かつての)強い想いは、一方で、今でもギャップとして現実を突き動かしている。MVの中の大人になった少女は、未だに羽を手放してはおらず、それをおさげとして付ける仕草(=重音テトになりきる?)を通して、現実を超越しようとしている。

・「酸っぱい果実が熟れる 熟れる」「2着になった その一張羅」という歌詞からは、少女が自分の目標とする職業に就けなかったことが推測される。一つ目は、イソップ童話『酸っぱい葡萄』との言葉の類似から、期待通りに物事が進まなかったという連想で、二つ目は、その服以外の替えが効かない「一張羅」(=制服?あるいはファッションデザイナー等の、一着一着を作っていく職業?)が、替えの効いてしまう服(=スーツ)になっているという理由の推測からである。「書類の束ばっか おとなになった今年を堪能中」という歌詞からも、少女が現在、事務仕事に追われていることがうかがえる。しかしそれでも、少女はそれらの現状を「堪能」しているらしい。少女は、日常の中の様々な出来事に、大げさなまでの反応ができるタイプなのだろう。小さい頃は、少女の周囲の全てが、異質な、言葉の通じない「バベル」として聳え立っていたのかもしれない。大人になって少女は、その「バベル」が崩壊したこと自体に、それが「バベル」たる所以を見出している。「バベル」はそもそも、崩壊することが宿命づけられている建物だからだ。

・「重なった空が落ちる 落ちる」という歌詞は、杞憂なはずのことが実際に起きたという意味と、その意味から、重音テトという、エイプリルフールの嘘そのものだった存在が受け入れられていくいう意味のダブルミーニングが生じていて興味深い。この辺の歌詞は、「逆さまになった未来の塔」という歌詞が、背景のブリューゲルの『バベルの塔(小)』(1568)を逆さまにした形と、テトのドリルツインの髪型を重ねているという解釈を見かけるなど、「重音テト」という存在そのものへと宛てる歌詞となっていることがうかがわれる。いよわさんによる、重音テトの「Synthesizer Ⅴ」実装のお祝いを、メタ的な意図として読み取ることができる。

・ただ、あくまでも作中の少女の解釈という面も見てみると、MVの中で、少女が落下する姿勢に変わっている点は、注目に値するかもしれない。「塔から落ちる」「逆さまの塔」という表象は、タロットカードの「塔」の逆位置を思い起こさせる。「塔」の逆位置は、タロットカードにおいて最も不幸だともされる配置で、突然のトラブルや、天変地異の前触れを意味するという。少女はそんな不幸に見舞われる中で、必死に自分に「嬉し涙を隠す 隠す」と嘘をついて、堪えようとしているのだろうか。しかし、次の歌詞を見てみると、「パラシュートがまた開く 開く」と続く。どうやら、少女にとって世界がひっくり返るほどの衝撃は、何度も体験したことがあるもののようだ(少女の感受性が非常に高いということは前述した)。少女はあくまでも前向きに、「明日を 考え中!」とだけ述べて歌を終える。ここからうかがわれることは、まるで「バベルの塔」のような、崩壊を招く落雷や突風に相当する体験を少女は繰り返しながらも、それらが自身の感受性の高さによる、大げさな体感であることを、彼女は心のどこか自覚している、という少々冷めた視点だ。少女は日々の繰り返しの中で、「名高い段差を歩く 歩く」「拙いペースを守る 守る」と、ゆっくりでも歩を進めていくことを自分に定めている。その意味で言うならば、「バベル」は自身の目標や憧れをも意味することになるだろう。少女のこうした前向きさからは、何度打ちのめされても、ふたたび「塔」を登っていこうという柔らかな決意を感じ取ることができる。

ブリューゲルの描く『バベルの塔』のように、「バベル」は建築途中ながらもすでにどこか歪で、中身が剥き出しになっていたり、アーチが歪み始めていたりと、崩壊することがすでに定められているように見受けられる。しかし、それでも私たちは、その「バベル」に憧れ、それを建てようとして、そして懲らしめられざるを得ない存在である。この曲が伝えようとしていることは、人間と、そうした周囲にある大きな存在との対比の中で、無力な人間が抱く複雑な感情を描こうとしているように推測される。

・また一方で、異質な「バベル」は日常のあちこちに埋め込まれているが、それに巻き込まれていることに気付ける人は少ないだろう。「バベル」は言語が分散した起源の伝説として、人々の感受性を共有し切ることができないという、分断の象徴性をも担っているように推測される(ただ、苦しみを他者と共有し切れないことは、悪いことではないのかもしれない)。果たして私たちは、お互いの「バベル」の中で、他者の「バベル」に迷い込むことができるのだろうか(私たちはそうしたいのか?そうできない方が幸せなのか?)。期待と不安を胸にして、少女と私たちの塔登りは今日も続く。