電子の雑煮

レポートが苦手な大学生です。苦手を克服するためにレポートを公開したいと思います。

『メタ倫理学入門』読書ノート

珍しくある程度ちゃんと読書ノートを書き残していた本を見つけ出したので、参考というか(悪い)例として共有してみようと思います(むしろこれを見た方がどういう読書ノートを付けてるのか教えて欲しいです)。本書は立場が非常に多いので、後ろの方には、この本に出てくる「○○主義」を一覧にまとめておいたメモも付記します。コピって使ってください。

参考文献: 佐藤岳詩『メタ倫理学入門』勁草書房、2017年。(3000円)

 

『メタ倫理学入門』読書ノート

 

〈はじめの問い〉

・私はまだ倫理学を簡単にしか学んでいない身である。まずは急がずに基礎知識を身につけたい。

 

〈読み終えて〉

・道徳があるのかないのか、非常に考えさせられる本だった。読んでみての自分の立場は、当初は「道徳的虚構主義」に近いと思われたが、他の主張に一理あると思われることもあった。また、自分が在籍している古代哲学の分野だと、自然主義が基本となって語られることが多いため、ギャップを感じるなあという感想を抱いた。

・それぞれの著者を調べる中で、新アリストテレス主義(徳倫理学)の研究者たちが皆女性であることに気づき、これを興味深く思った。自分は以前、アリストテレスを読んでみたときに、男尊女卑に辟易して本を閉じてしまう経験をしたので、そうした読みをひっくり返す、彼女たちの試みに関心を抱いた。

・この本は非常によい学びとなった。しかしこの本は入門書であり、先へと続く道しるべである。次は、原著に向かい、他の人と話し合い(あるいは薦め)、なじませていくことで、次に繋げていきたいと思う。

 

p5

ミル的功利主義を除けば、功利主義に道徳的根拠づけは必要か?(効率性だけの話をしているのではないのか?)

→どうやら「功利主義」は、一般的にミル的功利主義を指すらしい。

 

p31

客観的性質の確実性は非常に疑わしい。例示に出ているような五感はなぜ、ある程度の共通理解が可能なのか?

→言語的情報を共有(口コミ、感想)することで同一化が発生している?

ex映画を観ながらおしゃべりが出来るとすれば、おそらく一緒に観ている人たちの感想は、そうでない場合よりも似通うことだろう。

 

p41

例えば、モラリストたちの意図を考えてみよう。モラリストたちの言葉は表出主義的か?それとも認知主義的か?

→認知主義的に思える。

→それはなぜ?

 

p45

例えば、人権を(完全に)支持する人たちからすれば、男尊女卑の習俗は全て排斥されるべきなのか?

 

p48

異文化人が、その風習をどうしたいのか。保存したいのか、変えたいのかを功利的(民主的)に判断するとよい?

 

p49

「弱者のための倫理を保護しなければ、私に降り注ぐ理不尽であっても反対できないのではないか?」という主張もまた、一元的に物事を考えているだけのような気がする。倫理(多少の普遍性)を担ぎ上げるのも、倫理の相対性を謳うのも、どちらもあってよいはずだ。

 

p70

・奇妙さからの論証

①もし客観的価値が存在するとすれば、それらはこの世界の他のものと全く違った、非常に不思議な種類の実体となるだろうが、そんな奇妙でいかがわしいものが実在するとは思えない。

②また、そんな不思議な実体に気がつき得るとすれば、普通の方法ではたどり着き得ない、道徳的直感といった特別な能力によるということになるだろう。しかし、そんな特別な能力が私たちにあるとは思えないので、客観的な道徳的価値は実在しない。

 

p78

性善説性悪説の議論に似ている。性悪説においても、悪が存在するというのではなく、無知である人間が協力したり努力したりすることで善を生み出していけるという主張をする。

 

p82

道徳的虚構主義を取っているからといって、何も道徳的判断を理由に理性的になってはいけないというのはおかしい。道徳的虚構に気づいていながらも、メタ度を落として道徳性を「演じて」もいいのではないか。

→反省的自己と非反省的自己のお話かも?

 

p83

価値判断というのは、道徳的なもの以外にも基づけるのではないか(利己性、効率性)。

→道徳以外の価値基準というのは、外在化された目的であり、自存的なものではないのではないか。

→反対に、道徳は常に内在的な価値基準なのか?(義務的でない道徳が存在するのか?)

 

p83

メタ度を下げた方が(疑うことのない信徒であった方が)道徳とは上手に機能するのではないか。むしろ、道徳的な行動を取れるというレベルの人間は、大半が道徳を心の底から信用しているのではないか。

→こうなると準実在論ではないのか?

 

p103

・還元主義

ある超自然的な概念を、自然的に実在する何か別の言い方に過ぎないとする事で、その実在を確かなものにしようとすること。ゾンビパターン(ゾンビをウイルスの症状という設定にすることで合理的に説明する)。

 

p111

「道徳的性質と自然的な性質は、同じものを指し示すか、違うものを表している」

ヘーゲル的?弁証法を用いて、様々な角度から「善は快である」と言えるものを重ねていく。

 

p112

「定義を作り直していくことが、理論を作っていくことだ」

 

p116

倫理を科学の場に引き出せる点がコーネルリアリズムの強み。

 

p125

「道徳は動機付けの力を持たない」とあるが、道徳とはそもそも動機付けの理由として説明されるものではなかったか?

→「弱い実在論」の項目を参照。

 

p125というか4章全体に対して

・「道徳の重さ」について

「道徳の重さを分かっていない」という実在論系の反論が多く見られるが、「道徳の重さは、そもそも保証されるべきか」ということについて、もう少し考える必要があるのではないだろうか。

 

p141

ムーア的直感主義とは、決してオカルトじみているのではなく、「他の何かに言い換えることが出来ない」からこそ「道徳それ自体が善い」と言う他ない、という立場のことである。

 

p160

道徳的虚構主義と準実在論の違いはどこか。

 

p160

幽霊は実在しているかどうか分からないが、私たちに影響は与えている。影響を与えるなら、実在しているのと同義に近いと言えるのではないか。(ただしこれは科学が強い支配力を持っていない社会においての話である。なぜなら科学とは道徳実在論の例えだからである。)

 

p166

価値から態度が作られるのであり、また欲求が価値になるのではない、というのが実在論側の前提にある。「正義のために」の「正義」とは?

 

p178

「地盤の例え」

実在論→人々は皆陸地の上で暮らしている。

非実在論→人はそれぞれ一人分の木材を与えられ、自分用の舟を浮かべて生活している。

第3の立場→人々は集まって比較的大きな船を作り暮らしている。

 

p180

トーンポリシング反対論は手続き的実在論への反論と一部重なっている?

 

p184

形式と実質の乖離。

 

p208

表現型情緒主義はトーンポリシング反対論と結びつきそう。

 

p210

体罰そのものについて述べていないからと言って、それは意見は一致しうると言えるのか?

 

p224

人に勧める根本的な理由とは?(プラグマティズムの有用性の根源と同質)

 

p246

なぜビーガンは宣伝下手なのか?

→世の中の「普通の」道徳的な人は表出主義が多く、反対にビーガンでは認知主義が多いのではないだろうか。

 

p258

「同情」は果たして道徳的欲求か?道徳的判断ではないのか?

 

p259

外在や内在に関わらず、相手の判断を変えさせるために最も有効な手段について話し合おう。

 

p260

外在主義と内在主義の差は、「世の中の人間は基本的にクズで、たまにいい人がいる」と「世の中の人間は基本的に善人で、たまに悪人がいる」の差で見ると分かりやすいのではないか。

 

p301

・道徳的であることの理由がトリヴィアルであることは、直観主義的であるように思える。そのため理性主義に対する批判に、トートロジーが起きているという点は当たらない(本当に?)。それそのものが善いとされる理由に、軽々しく答えるべきではないのも、また事実であるように思える。

・トマス・ネーゲルの倫理的立場って述べられてなくない?

 

『メタ倫理学入門』 主義まとめ

 

・主観主義

・客観主義

・道徳的相対主義

→事実レベルの相対主義

→規範レベルの相対主義

→メタレベルの相対主義

・普遍主義

 

非実在主義(錯誤理論)ージョン・マッキー

・道徳全廃主義(ニヒリズム)

・道徳的虚構主義

→解釈的虚構主義ーマーク・カルデロン

→改革的虚構主義ーリチャード・ジョイス

・保存主義ーヨナス・オルソン

 

自然主義実在論

・意味論的自然主義(功利主義、徳倫理学)

・還元主義的自然主義

→分析的還元主義ーフランク・ジャクソン

→総合的還元主義ーピーター・レイルトン

・非還元主義的自然主義(コーネルリアリズム)ーリチャード・ボイドetc…

 

自然主義実在論

・神命説

・強固な実在論(直感主義)ージョージ・エドワード・ムーア、ハロルド・アーサー・プリチャード

・理由の実在論ーデレク・パーフィット、トマス・スキャンロン (ヘア、ロールズの流れを汲む)

@理由の内在主義ーバーナード・ウィリアムズ

@理由の外在主義ーD.パーフィット

 

第三の立場

・準実在論(投影主義)ーサイモン・ブラックバーン

・感受性理論ージョン・マグダウェル

・手続き的実在論ークリスティン・コースガード、ジョン・ロールズ

・静寂主義ーリチャード・マーヴィン・ヘア

 

表出主義(非認知主義)

・表現型情緒主義ーアルフレッド・エイヤー

・説得型情緒主義ーチャールズ・スティーブンソン

・指令主義ーR.M.ヘア

・規範表出主義ーアラン・ギバード

 

認知主義

→動機付けの内在主義

→動機付けの外在主義

・ヒューム主義

 

ニヒリズム

・科学主義

・理性主義

→カント主義的理性主義ーC.コースガード

→新アリストテレス主義的理性主義ーフィリッパ・フット

・見方の倫理ーアイリス・マードック

 

その他

ウィラード・オーマン・クワイン                    

ロバート・ノージック

トマス・ネーゲル

 

哲学史

18C〜 自然主義実在論(古典的功利主義)

1910〜30 非自然主義実在論(直感主義)

1930〜40 情緒主義

1950 指令主義、規範表出主義

1970 非実在論、虚構主義、手続き的実在論、感受性理論、準実在論

1980 自然主義実在論(還元的実在論、コーネルリアリズム)

2000 非自然主義実在論(強固な実在論、理由の実在論)