電子の雑煮

レポートが苦手な大学生です。苦手を克服するためにレポートを公開したいと思います。

『 l may fall』 和訳

 今日は、私が大好きな作品、『RWBY』の作中歌、『I may fall』の和訳を紹介したいと思います。訳自体は、受験生のころに英語の勉強と称してやってました。なのでガバガバです。全然分かってません。英語が得意な方、ぜひ『RWBY』を見て私に英語を教えてください。もちろん苦手な方も見てください。英語の勉強になります。

 自分の解釈の過程を見せたいと思い、まずはなるべく直訳で訳したものを載せた後に、意訳版を載せたいと思います。タイトルでもある『I may fall』は、非常に多義的なニュアンスを持っているので、位置によってニュアンスを変えてみたらカッコいいかなと思い、ラストに含ませてみました。拙訳ですが、アドバイスのほどよろしくお願いします。

・ファンダムの記事も参考までに↓

rwby.fandom.com

YouTubeの動画も↓

youtu.be

 

〈直訳版〉

There's a day when all hearts will be broken,

心の全てが壊される日がある

When a shadow will cast out the light,

影が光を追い出すであろうときに

And our eyes cry a million tears:

そして私たちの目は百万の涙を流す

Help won’t arrive.

だが、助けは来ないだろう

 

There's a day when all courage collapses,

全ての勇気が崩れる日や、

And our friends turn and leave us behind.

友が向きを変え、私たちを残して去ってしまう日もある

Creatures of darkness will triumph:

闇の怪物が勝利するだろう

The sun won't rise.

そして、陽は昇らなくなるだろう

 

When we've lost all hope,

私たちが全ての希望を失い、

And succumb to fear,

恐怖に倒れ、

And the skies rain blood,

空が血を降らし、

And the end draws near,

終わりが近づく時

 

I may fall

※私は(死ぬ/倒れる/屈する/滅びる)かもしれない(することができる)

But not like this: it won't be by your hand.

しかしこのようにではない、それはあなたの手によってではない

I may fall

Not this place; not today.

ここではない、今日ではない

I may fall

Bring it all: it's not enough to take me down.

全てのそれを持ってこい、それは私を倒すのに不十分だ

I may fall

 

There's a place where we'll stand outnumbered;

私たちが大軍に立ち向かう場所がある

Where the wolves and the soulless will rise.

狼や魂無き存在が起き上がる場所だ

In the time of our final moments,

私たちの最後を迎えるとき、

Every dream dies.

全ての夢は死ぬ

 

There's a place where our shields will lay shattered,

私たちの盾が打ち砕かれる場所がある

And the fear is all that is left in our hearts.

そして恐怖は私たちの心の全てに残る

Our strength and our courage have run out:

私たちの力も、私たちの勇気も尽きてしまった

We fall apart.

そして、私たちはバラバラに崩れ落ちる

 

When we lose our faith

私たちが信念を失い、

And forsake our friends;

友を見捨てる時

When the moon is gone

月が消され、

And we've reached our ends,

私たちが終わりに達した時

I may fall

私は死ぬのかもしれない

 

There's a moment that changes a life when

人生を変える瞬間がある

We do something that no one else can.

私たちが他の誰にも出来ない何かに取り組む時

And the path that we've taken will lead us:

そして私たちが選んできた道が、私たちを導くだろう

One final stand.

①最後の(戦い)が起こる

②最後の抵抗を

 

There's a moment we'll make a decision

私たちが決意する時がある

Not to cower and crash on the ground.

身をすくめずに、地にも伏せずに

The moment we face our worst demons:

私たちが最悪の悪魔に立ち向かう時

Our courage (is) found.

私たちの勇気は見つかる

 

When we stand with friends,

私たちが友と共に立ち上がり、

And we won't retreat,

退こうとしない時

As we stare down death

私たちが死を見つめる時

Then the taste is sweet.

その味は甘い

 

I may fall

But not like this: it won't be by your hand.

しかし今回ではない、それはあなたの手によってではない

I may fall

Not this place; not today.

ここではない、今日ではない

I may fall

Bring it all: it's not enough to take me down.

全てのそれを持ってこい、それは私を倒すのに不十分だ

I may fall (繰り返し)

I may, I may fall.

 

〈意訳版〉

There's a day when all hearts will be broken,

皆の心が挫けちゃうときや

When a shadow will cast out the light,

影が光を覆う日が来るかもしれない

And our eyes cry a million tears:

私たちがいっぱい泣いたとしても

Help won’t arrive.

助けは来ないの

 

There's a day when all courage collapses,

皆の勇気が崩れるときや

And our friends turn and leave us behind.

仲間が俺たちを見限るときも来るだろうさ

Creatures of darkness will triumph:

そして闇の怪物によって世界は支配されて

The sun won't rise.

太陽は昇らなくなるの

 

When we've lost all hope,

皆が全ての希望を失って

And succumb to fear,

恐怖に負けた時に、

And the skies rain blood,

雨が赤く染まって、

And the end draws near,

終わりが近づくその時に…

 

I may fall

私は倒れるかもしれない

But not like this: it won't be by your hand.

だけどこんなもんじゃない、お前なんかにやられたりしない!

I may fall

私は倒れるかもしれない

Not this place; not today.

でもこんなとこじゃない、今日なんかじゃない!

I may fall

私は倒れるかもしれない

Bring it all: it's not enough to take me down.

全力でかかってこい、そんなんじゃ全然足りない!

I may fall

私は倒れるかもしれない

 

There's a place where we'll stand outnumbered;

たとえ多勢に無勢であっても、

Where the wolves and the soulless will rise.

私たちが怪物どもに立ち向かわなきゃいけない時が来るわ

In the time of our final moments,

たとえその日が私たちの命日になって

Every dream dies.

全ての「夢」が潰えてしまうのだとしても

 

There's a place where our shields will lay shattered,

俺たちが身を守るすべを失って、

And the fear's all that's left in our hearts.

不安で心がいっぱいになる時も来るかもな

Our strength and our courage have run out:

力も勇気も尽きちゃって

We fall apart.

私たちはバラバラになるのかな

 

When we lose our faith

もう皆が信念を失くしちゃって

And forsake our friends;

仲間を見捨てしまう時に、

When the moon is gone

月の輝きすら無くなって

And we've reached our ends,

終わりを迎えるその時に…

I may fall

私、死ぬんだなって

 

There's a moment that changes a life when

さあ、生まれ変わろう

We do something that no one else can.

他の誰もやってくれない、俺たちがやるしかないんだ

And the path that we've taken will lead us:

これまで選んできた道が、私たちを導くわ

One final stand.

最後の抵抗へと

 

There's a moment we'll make a decision

さあ、決断の時だ!

Not to cower and crash on the ground.

身をすくめずに、地にも伏せずに

The moment we face our worst demons:

最悪の悪魔にも立ち向かう時、

Our courage found.

勇気は再び私たちの手に!

 

When we stand with friends,

仲間と共に立ち向かい

And we won't retreat,

一歩も引き下がろうとしない時、

As we stare down death,

恐れずに死と向き合えば、

Then the taste is sweet.

勝利の女神は私たちに微笑む!

 

I may fall

私は死んだってかまわない!

But not like this: it won't be by your hand.

だけどこんなもんじゃない、お前なんかにやられたりしない!

I may fall

私は死んだってかまわない!

Not this place; not today.

でもこんなとこじゃ、まだ今日じゃ終われない!

I may fall

私は死んだってかまわない!

Bring it all: it's not enough to take me down.

全力でかかってこい、そんなんじゃ全然足りない!

I may fall

たとえ私が倒れて

I may fall

死に絶えて

I may fall

朽ち果てて

I may, I may fall.

消え去るとしても、でも、それでも!

ソ連における農民について

1.序論

 本稿は、第二次世界大戦以前までのソ連において、農民がどのような役割を担ったのかを検討することを目的としたレポートである。したがって本論においては、それぞれの時代における農民の状況と、それに関わる政治的動向を追いながら、ロシア帝国時代、ロシア革命・内戦期、ネップ期、農業集団化の4つの時期に分けて論じていく。

 

2.ロシア帝国時代の農村

 ロシアの農村は中世以来、ミールという共同体による農業を営んできた。1861年農奴解放令が出されると、農地の所有は地主から国有に移ったが、それは無償で農民に配分されるわけではなく、農民は借金をする形で、農地を利用した。この借金は年間地代の約16倍の額であり、普通の農民が支払うことは不可能だった。土地の所有・管理はミールに委ねられ、そこから分配される仕組みで経営された。農法としては三圃制を取っており、決して効率がよいわけではなかったが、少しずつ余剰作物の蓄積がなされ、鉄道網の整備とも相まって、次第に都市に流通する量を増やしていった。

 農村の発展が進むと、土地不足が問題になり始めた。また、均等に土地が行き渡るように、痩せた土地と肥えた土地を細分化して分配し、管理の手間も増えていった。1世帯あたりの土地を細長く分割した地条stripsが、当時の農村の特徴であった。家から遠い場所に、細切れに土地が割り当てられるケースもあったという。そのため、一部の農民は新たな農地を求めて、従来農地が集中してきたモスクワ近辺の黒土(チェルノーゼム)地帯を抜けて、西シベリア、北カフカスなどに移住するようになっていった。しかし、それ以上の地域は土質がチェルノーゼムではなくなってしまうため、拡大にも限度が見られた。20世紀初頭の農村では、一人当たりの土地が減少し、生産能力が落ちていたことが分かっている。

 第一次世界大戦が勃発すると、農民は兵士として駆り出された。しかし、戦闘の長期化によって食糧難が深刻となり、ロシア軍には厭戦気分が蔓延した。当時の農村では、ナロードニキの流れを汲む社会革命党(通称エス=エル)の支持が圧倒的だったが、一部のボリシェヴィキはこの間に農村に入り、呼びかけを繰り返して農民の支持を得ていった。わずかではあるが農民ソヴィエトが形成され、彼らは共産党の支持基盤として機能した[1]

 

3.ロシア革命期における農村

 三月革命によってニコライ2世は退位したが、次いで建てられた臨時政府は戦争を継続する判断を下した。また臨時政府はボリシェヴィキを危険視し、圧力を加えていったが、彼らの勢力は規模が拡大していたために、抑え切ることは不可能であった。4月にレーニンが帰国し、「四月テーゼ」が発表されると、即時停戦と土地の無償分配に農村は沸き立った。続いて十月革命が起き、ボリシェヴィキが政権を奪取すると、彼らに反対する勢力が独立を始めた。ロシア内戦である。

 ボリシェヴィキは都市と赤軍に食糧を確保するために、この事態を「戦時共産主義」と称し、「食糧独裁令」を制定した。これは、農村に武装部隊を派遣して食糧を徴発する、農民からしてみればとんでもない命令であった。これを制定したのは、党官僚として頭角を表し始めながらも、まだ無名だった頃のスターリンだった。ボリシェヴィキを信じた農民にとっては、この命令は裏切られたに等しかった。理不尽に見舞われた彼らは、同じく武器を持って抵抗した。ボリシェヴィキが作る赤軍と、反ボリシェヴィキ勢力と欧米列強が連合して押し寄せてきた白軍の争いに、農民反乱軍の緑軍が加わり、戦局は混迷を極めた。結局、ボリシェヴィキがこの戦いを制し、争いを鎮圧した。またボリシェヴィキは、内戦に乗じて独立しようとした非ロシア系の勢力に対して、共産党以外の党派による独立も認めず、そうした勢力が議会を占めた場合には、これも鎮圧した。

 1922年に、ソヴィエト社会主義共和国連邦は成立した。この中には、多くの非ロシア系の連合共和国が含まれていた。例えばモスクワに隣接するウクライナは、その国土の大半がチェルノーゼムであり、優れた穀倉地帯として機能した。それは一方で、他民族を抑圧して引き出した資源でもあった。

 

4.ネップ期における農村

 内戦を乗り越えて成立したソヴィエト政権にとって、目下の課題はいかにして経済を立て直すかであった。二つの戦争を経て、国内の経済は著しい打撃を受けていた。20年の農業生産は戦前水準の6割強にすぎず、工業にいたっては戦前の2割程度にまで落ち込んでいた。政府は手始めに、農民への穀物徴発をやめて累進的な現物税を採用した。これは、市場経済の一次的な復活を意味し、資本主義の克服を目指す共産主義と矛盾していると、党内でも意見の分かれるものであった。この時期は1927年まで続き、ネップと呼ばれた。

 1924年にはレーニンが亡くなり、後継者争いが勃発した。スターリンは、赤軍を指導するライバル、トロツキーを失脚させるために、古参の幹部のジノヴィエフカーメネフと結託し、排除した。しかし、スターリンの謀略は続く。当時、党員の中には右派、つまり、現状を保ち、農村にこれ以上の手は加えず、工業は漸次的な発展を目指す立場の者が多かった。スターリンはそこから、右派の幹部、ブハーリンやルイコフと接近し、左派、つまり、農村からより多くの穀物を取り立てて、穀物の輸出を推し進め、それによって得た資金を工業の発展に充てることを主張していた派閥、つまり先述の、トロツキージノヴィエフカーメネフらを攻撃した。最終的にスターリンは、農民政策の転換の中で、右派の幹部をも失脚させ、独裁を完成させていった。

 1927年、つまりネップの終わりは、イギリスとの国交断絶がきっかけとなった。政府はこれを利用して戦争の噂を喧伝し、軍需産業への投資を集中させようとしたが、これが農民の不安を煽り、穀物の市場流通量が激減、「穀物調達危機」が発生したのである。翌年、政府は非常措置として、再びの徴発を実施した。これによって得た成果をスターリンは「評価」し、これを機に、政府は農民に対して弾圧を持って彼らを従わせる方針を取っていった。

 

5.農業集団化

 当初、農業集団化は、長期の目標として掲げられたものに過ぎなかった。事態が変わったのは、穀物調達危機の発生である。政府はこれを、穀物を大量に隠し持っている「クラーク(富農)」の陰謀だと考え、農村に武装部隊を送り込み、徴発を行った。しかし、戦争の混乱を乗り越えて数年経った程度の当時の農村にクラークなどいるはずもなく、いるのは貧農のみに等しかった。政府は反抗する農民に対して、粛清してでも徴発を行った。この農村との敵対が、スターリンの集団化政策と結びついていった。農村を、完全なコントロール下に置こうとしたのである。

 1928年5月に、スターリンは農業の集団化が穀物問題を解決すると発表した。これによって、コルホーズの形成が開始された。コルホーズとは、訳語では集団農場という意味を持つが、その内容は、作物の大半を国家に接収されるというものであり、農民からすれば地獄のような話だった。実際、コルホーズ形成後の農民は、自宅の周辺に与えられたわずかな住宅付属地のみで飢えをやり過ごした。

 政府は集団化に抵抗する農民を全てクラークだと見なし、大量の粛清を行った。この一連の集団化政策で犠牲となった農民の数は、全体で500万~700万人の規模であったと推定されている。穀物供出は農村のミールを通して決定されていたため、村全体が穀物を出し渋れば、村ごと粛清する場合もあった。

 しかし、このあまりに苛烈なやり方に、地方の共産党員も疑問を抱き始め、作業が停滞していった。1930年3月に、スターリンは「成功の幻惑」という論文を発表し、一時的な集団化の緩和を行ったが、これはむしろ農民のコルホーズからの大量脱退を招き、同年の秋には再開された。農民の逃亡も相当数報告されたため、1932年には、国内旅券制度が導入され、農民は許可なく移動することを禁じられた。

 1932年には、大規模な飢饉も発生したが、忠実なスターリン派の幹部が各地に派遣され、緩むことなく弾圧は行われた。幹部のモロトフは、播種用の穀物すら残さぬよう指示したと言われている。1933年に、スターリンは農民に対する抑圧の緩和を発表し、農業集団化は一定の区切りを見せた。最終的に、農民の約60%がコルホーズに統合されたという。

 

6.結論

 本稿ではこれまで、第二次世界大戦以前までのソ連において、農民がどのような役割を担ったのかを検討してきた。議論を概説すると、ロシア帝国時代の農村は、中世以来のミールという共同体によって運営され、生産性は芳しくなかったが、それでも少しずつ改良されていた。十月革命の前後になると農村は、戦争を終わらせ、土地を無償で分配するというボリシェヴィキの目標に賛成したが、結果としては穀物を徴発されるという最悪の手段で裏切られ、農村は必至で抵抗した。それが過ぎてネップ期に入ると、政府は農村との仲を回復させようとし、現物税の手段を取った。しかしこれは長くは続かず、穀物調達危機の発生を機に政府は再び農村を弾圧し、強制的に農業集団化を推し進めた。抵抗する農民は政府に粛清され、その数は500万~700万人に上った。

 結論としては、ソ連における農村は、国家の要でありながらも苛烈な搾取の対象とされたということである。農村は多くの犠牲者を出しながら、ミールからコルホーズへと変質し、ソ連の基礎を支え続けた。本来は、国民と統治者の関係であるはずの彼らが、どうしてここまで対立を深めたのか、歯止めが効かなかったのかは、筆者の想像力ではまだ描くことができない。この時に党員たちの内心に生まれたスターリンへの不信感が、大テロルの遠因となっていく。地獄が次なる地獄を呼ぶのである。

 

〈参考文献〉

下斗米伸夫『ソビエト連邦史 1917-1991』、講談社(講談社学術文庫)、2017年。

中嶋毅『世界史リブレット人 089 スターリン 超大国ソ連の独裁者』、山川出版社、2017年。

松戸清裕ソ連史』、筑摩書房(ちくま新書)、2011年。

梶川伸一「最近のロシア農民史研究について—農村共同体を中心に」『史林』、史学研究会(京都大学文学部内)、73巻4号、1990年、pp612-632。

 

計4060字(表題部除く)

 

[1] 農村におけるボリシェヴィキの浸透具合は、書き手によって記述が大きく異なっている。下斗米(2017)は、ボリシェヴィキは農民からも多大な支持を得たという旨の記述をしているのに対し、松戸(2011)は、ボリシェヴィキは農村に拠点を持たなかったと記している。

京戸について

 本稿は、古代日本の都城と住民について述べることを目的としたものである。そのためにまずは、古代日本の都が都城制に至るまでの過程を述べる。4世紀~7世紀後半までは、天皇の代替わりごと、あるいは天皇の指示によって遷都が行われてきた。そのため、宮(天皇の住まい)の近辺に都市が発達することはあまりなく、都は小規模であった。645年の大化の改新前後から、中央政府の権力が強化され、朝廷は律令国家体制を志向するようになった。同時に朝廷は、中国(北魏の洛陽城、唐の長安城)を手本とした都城制の都を目指し、都の規模は拡大されていった。都として初めて整備された藤原京(694-710)は、地形上の問題によって破綻し、平城京(710-784)への遷都がなされた。都城制の整備は、官僚機構の巨大化を可能にした。租税徴収や戸籍管理など、律令国家の実現のためには膨大な人員が必要であったのである。宮を中心に作られた都市、つまり京に住む住民のことは京戸と呼ばれた。

 京戸がどのような人たちによって構成されていたのかは、専門家によって意見が分かれている。まず有力なのは、有力な豪族によって担われていたという説である。特に畿内の豪族が多くの割合を占め、彼らは遷都と共に移住した。次に考えられるのは、畿外の国からやってきた住民や、遷都先の土地に暮らしていた住民が京戸に組み込まれたケースである。以前は、後者の、土着の民の登用が大半を占めていたと考えられていたが、現在は前者の説のほうが有力となっており、例外的に後者のケースを含む割合で、官僚機構は発展していったと考えられている。根拠の一つとして挙げられるのは、八色の姓(685)の実施である。この制度は、氏(ウジ)に加えて、称号的な要素が強い姓(カバネ)を与えることで、天皇に近しい氏族を固める狙いがあったと考えられている。官人の昇進においても、姓が重視されたようである。その氏族を管理する台帳は、庚午年籍(670年前後に作成)といい、律令国家体制を基礎づけた戸籍と見られている。ここには、都城制の都を作る以前から、京戸への言及があり、官人層がすでに形成されていることが分かる。

 京戸と官人の用語は、同じような意味で使われる場合が多いが、正確には同一ではない。京戸でありながら官人でない者、官人でありながら京戸でない者もいるためである。前者には、当時の「戸」という世帯の考え方が関係している。戸の成員は現在の2~3世帯を含むものであり、全員が官人として働いていたわけではないためである。おそらく、京内に宅地班給を受けた単婚家族のみが官人として出仕し、それ以外の戸の成員は郊外で農業を営んでいたと考えられている。後者は、都の外に本籍を持つ住民が官人として登用されている場合であり、任期が終わると彼らは本籍地へと帰らなくてはならないため、京貫(本籍を京内に移すこと)を願い出る者が多かったという。こうした傾向は、出身母体との繋がりが薄れた8世紀末によく見られた。元々閉鎖性の強かった京戸は、これを境に流動性を増していくこととなる。(計1240字)

『バガヴァッド・ギーター』におけるヨーガについて

1.序論

 現代においては、ヨーガとはもっぱらスポーツや健康法としての意味が強いが、本来はもっと多義的な意味を持つ言葉である。現代の意味と本来の意味の区別を付けるために、筆者は今回、『バガヴァッド・ギーター』(以下『ギーター』)におけるヨーガの意味とはどのようなものかという問いを立てて、他の用語も確認しながら、これについて説明したいと考えている。『ギーター』は、まだ授業では扱っていないかもしれないが、個人的に関心があるため、今回の課題の対象に選んだ。

 本論ではまず、『ギーター』が成立するまでの思想史を簡単に説明する。次に、押さえておくべき前提となる『ギーター』の世界観について説明し、最後にヨーガについてまとめる流れを取る。

 用語の表記については、訳語が一般的と思われる場合においては訳語を先行させ、そうでない場合はカタカナ表記のものを先に示すことにした。

 

2.『バガヴァッド・ギーター』の成立まで

 まずは、授業の振り返りを兼ねて、『バガヴァッド・ギーター』が成立するまでのインドの思想史を簡単に振り返り、議論の前提として必要な概念について説明したい。

 紀元前1500年ごろにアーリア人がインドに移住してくると、彼らは独自の宗教を打ち立てた。そうした思想や呪文は、前1200年ごろに『リグ・ヴェーダ』として編纂された。それから700年ほどをかけて、その他のヴェーダ文献が成立し、その最後に、ウパニシャッド(奥義書)と呼ばれる汎神論的性格の強い哲学書が登場した。これらの文献を生み出した思想・宗教の総体をバラモン教と呼ぶ。

 ウパニシャッドにおいては、それまでのヴェーダにおける多神教的な性格から、唯一神(原理)への移行が見られ、そうした万物の根底を成す原理、あるいは最高神のことはブラフマンと呼ばれた。対して、人間存在の規定については、自己について内省した果ての、真の自己のことをアートマンと呼び、さらに、この個人の本体であるアートマンは、最高存在ブラフマンと同一であるという「梵我一如」という考え方が成立した。こうしたウパニシャッドの考え方は、後のヒンドゥー教思想全般の要となった。

 前6世紀になると、生産や技術の発展によって、それまでの身分制度に基づく社会体制が揺らぎ、反ヴェーダ思想が登場していった。この中でも、特に仏教とジャイナ教の隆盛はすさまじく、バラモン教は変革を迫られていった。そうした変革の中で、バラモンを上位の階級に置きながらも、民衆が中心となって信仰が担われるようになり、現在まで続くこの宗教はヒンドゥー教と呼ばれるようになった。

 ヒンドゥー教においては、バラモンはよりその学問的性質を強めた。彼らは紀元前2世紀ごろに、六派哲学と呼ばれる様々な形而上学理論を持つ学派を形成し、ウパニシャッドの原則である梵我一如を唱えつつも、そこに至るまでの多様なプロセスを展開した。

 民衆の信仰においては、紀元前2世紀に『マヌ法典』が成立した。『マヌ法典』の内容は、法律や統治のあり方、各身分が果たすべき社会的役割や規律についてなど多岐に渡り、特に、ヒンドゥー教徒が目指すべき人生の四大目的が規定されたことは特筆される。その4つとは、ダルマ(義務、法)、アルタ(実利)、カーマ(愛欲)、モークシャ(解脱)の4つであり、特にモークシャは、最終的に全ての人が目指すべき最大の目標とされ、人々は輪廻の世界から解放されることを何よりも望んだ。この解脱のために、ヨーガという概念・方法が発達した。

 加えて、紀元4世紀までには、インドを代表する二大叙事詩の『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』が成立した。特に『マハーバーラタ』は、紀元前4世紀から存在が認められるようであり、この物語は、当時の思想潮流の様々な面を併せ持つ文献として、次第に発展していった。その思想的側面が最もよく表れている6巻冒頭の箇所が『バガヴァッド・ギーター』である。『マハーバーラタ』があまりに長大であるために、『ギーター』は独立した書物として扱われる。また『ギーター』は、サーンキヤ学派やヴェーダーンタ学派など、学派を超えて聖典とされる。『ギーター』はその成立の過程からして、バラモンだけに読まれる文献ではなく、万人に開かれたものだと言うことができる。このことは、本書が、階級の差を超えて救済されるというバクティや、出家することなく己の義務に専心する行為のヨーガを強調することからもうかがえる。

 当時のヒンドゥー教社会においては、最高神としての人格神には、ヴィシュヌ神シヴァ神の二柱が特に信仰された。『ギーター』においては、最高神ヴィシュヌ神であるとされている。ヴィシュヌ神は、化身として人間界に顕現するという信仰があり、『マハーバーラタ』(および『ギーター』)の登場人物、クリシュナもヴィシュヌ神の化身だとされる。クリシュナの口を通して、全ての奥義が語られる。 

 

3.『ギーター』の創成哲学、認識論

 次に、ヨーガを説明するための前提として、『ギーター』における世界観、つまり、世界がどのようにできているのか、人間はどのように世界を見ているのか、といったことについて説明している箇所をまとめる。

『ギーター』において世界を構成しているのは、プラクリティ(根本原質)という概念だと言われる。プラクリティより様々な要素(グナ)が生まれ、展開していくことで、それが世界や私たち個人、さらには、全ての現象、行為になっていくという(3・5、14・5など)。

グナと呼ばれる物質のあり方は、全部で3種類ある。サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)の3つである。さらには、私たちの認識もプラクリティにより生じる。人間の意識や認識、知識を形成する概念も全部で3種類ある。ブッディ、アハンカーラ、マナスの3つである。

 ブッディ(知性)とは、正しい心のはたらきのことを意味する。筆者はこれを、外的に実在するわけではないが、正しい認識の根拠として存在する、プラトンにおけるイデアに近しいものとしてこれを理解した。ブッディはジュニャーナ(知識)やプラジュニャー(智慧、般若)とも言われる。これらはおおむね同義語である。

 アハンカーラ(自我、我慢)とは、己に執着する心のはたらきのことを意味する。ブッディよりアハンカーラが生まれることで、個人というものが形成される。これを取り払うことで、ブラフマンへと帰ることができると言われる。

 マナス(意、思考器官)とは、感覚に由来する心の反応を意味する。つまり、身体との結びつきが強い概念だと言える。ヨーガ学派では、これを取り払って内省を深めることで、真の自己(アートマン)へと至ることを目的としている。

 ここで留意しておく必要があるのは、精神を意味する言葉の全てが、プラクリティより生じる下位の概念というわけではない点である。サーンキヤ学派において、最高の精神的原理(アートマン)を意味する言葉は、プルシャと呼ばれる。プルシャとは、『リグ・ヴェーダ』において語られる、世界を創造した最初の人類だとされており、それが転じて、アートマンを意味するようになったのだと推測される。『ギーター』においては、このプルシャという用語は「高次のプラクリティ」と表現されている。対して、世界を構成する5元素やマナスといった概念は「低次のプラクリティ」だとされており、それらを退けることで、このプルシャ(=アートマン)と一体になることができるという(7・4-5)。付け加えておくべきこととして、プルシャとはあくまでアートマンの意味で使われることが多いだけであって、ブラフマンの意味でも使われることがある点が挙げられる(8・8など)。歴史ある概念は、意味の拡大、変質が多いため、注意して読み進める必要がある。

 

4.ヨーガとは何か

 ここからは、本題であるヨーガという概念について詳しく見ていく。『ギーター』におけるヨーガとは、ものごとを平等に見ること。転じて、ブラフマンと合一すること、またそれらを実践することだとされる。ヨーガを実践する者はヨーギンと呼ばれる。ヨーガにはいくつかの種類があるため、それらを順に説明する。

 一つ目は、知性のヨーガ(ブッディ・ヨーガ)である。これは、最高神の知識に意識を傾け、それに集中し、行為の結果への執着を捨て去ることを意味する。ヴェーダーンタ学派は、これのみを解脱の方法と考えている。知性のヨーガは、サーンキヤ(理論)とも呼ばれる。サーンキヤは、後述する行為のヨーガと対置される。ただし、同名の名を冠するサーンキヤ学派は、行為のヨーガを認める学派である。

 二つ目は、行為のヨーガ(カルマ・ヨーガ)である。これは、行為の結果に執着することなく、己に課された義務の履行に専心することを意味する。『ギーター』における知性のヨーガと行為のヨーガの違いは、本来は異なる学派の意見を一冊の本にまとめているために、内容が似通ってしまい、非常に捉えづらい。筆者なりの推測としては、知識のヨーガが、より直接的に最高神に向かうのに対して、行為のヨーガは義務の履行を通して、つまり間接的な方法を通して神の救済を願う点にあると捉えている。

 ヨーガと関わりの深い概念はほかにもある。一つはバクティ(信愛)である。これは、最高神に対して絶対的に帰依することを意味する。これを行う者は、最高神の慈悲によって解脱することができるとされる。出家せずとも、神を愛する心さえ持ち続けていれば、解脱することができるとして、この概念は民衆に広く伝わった。この概念は、行為のヨーガに類似していると推測される。もう一つは、放擲(サンニヤーサ)である。これは、前述の概念と被るが、最高神に対して全てを捨てさることを意味する。放擲はヨーガであると、本文においても言及されている(6・2)。これら用語の後ろに、ヨーガがそのまま付く場合もある。バクティと放擲は、それほどまでにヨーガの内容を示している用語なのである。

 以上の議論から、『ギーター』におけるヨーガの意味をまとめることができる。ヨーガとはつまり、バクティを捧げることで、また、神に対して全てを放擲することで達する境地のことであり、これを通して精神は、己がアートマンであることに気づき、それが、世界、つまりブラフマンと一体であることを自覚する。ヨーガとは、このようにヒンドゥー教の思想を端的に示す、難解でありながらも奥深い意味を持つ言葉であることが明らかとなる。

 

5.結論

 本論ではこれまで、『バガヴァッド・ギーター』におけるヨーガの意味について、全体を概観しながらこれを探ってきた。結論として、『ギーター』におけるヨーガとは、ブラフマンと一体化すること、つまりウパニシャッドの基本哲学である梵我一如を体現する概念であり、それに至るために、知性や行為、バクティなど様々な形式を取って行われるものであることが明らかとなった。

 本稿では、ヒンドゥー教の教えを理解するために、広く知られている『ギーター』を手がかりとして利用したが、『ギーター』は六派哲学の様々な教えを組み合わせる形で成立したものであり、場合によっては矛盾を含んだ内容となっている節がある。思想の背景である六派哲学を理解することで、より深い視座から『ギーター』を読むことができるようになると思われる。これについては、これからの課題としたい。

 

〈参考文献〉

『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳、岩波文庫、1992年。

上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』、ちくま学芸文庫、  2007年。

早島鏡正他『インド思想史』、東京大学出版会、1982年。

番場一雄『ヨーガの思想 心と体の調和を求めて』、日本放送出版協会、1986年。

 

計4550字(表題部除く)

 

『ジェンダー・トラブル』2章3節 読書会レジュメ

 

 本文章は、海外PhDのショライさん(@phd_arai)主催の『ジェンダー・トラブル』読書会のために作成したレジュメである。ここでは自分が担当している2章3節「フロイト、およびジェンダーのメランコリー」について取り扱う。この節は、バトラーによるジェンダーのトラブルの実践について語られる。扱う対象は主にフロイトである。以下では、文章を読解するに当たって必要と思われる情報を説明していく。フロイトの理論には用語が多いため、その用語を適宜強調しながら説明を行う。

 

フロイトについて

 ジーグムント・フロイト(1856-1939)とは、「無意識」の概念を発見し精神分析を創始した精神科医、思想家である。彼は、人間は幼少期から性欲(リビドー)に溢れていると唱えた。哲学の界隈においては、現代思想を語るにあたって絶対に外せない一人とされ、ニーチェマルクスフロイトの三大巨人などと呼ばれる。

 彼の理論の中心をなしている概念は、リビドーである。リビドーは、無意識(フロイトの用語でエスという)が抱く生理的、衝動的な欲望のエネルギーのことである。快を求め、不快を避けようとするこのエネルギーは、年齢と共に発達し、自我を形成するより高度なエネルギーへと変わる。これが抑圧である。抑圧の過程の説明に、リビドーがその対象を喪失する旨(悲哀)が登場する。 

 彼は子どもの心理の発達に注目し、観察と分析を行った第一人者でもある。この領域における重要な概念に、エディプスコンプレックスというものがある。これは、子どもが、異性の親を所有しようとする欲望を諦めて、同性の親への憎しみを抑え、友好を図る超自我(自らを律したり禁じる力。道徳や良心とも言い換えられる)が出現する現象のことを指す。この名前は、登場人物皆血縁があるとは知らなかったとは言え、自分の父親を殺し、自らの母親と結婚した王、『オイディプス王』の悲劇に由来する。

 

② 本文におけるフロイトの分析、特に『悲哀とメランコリー』について

 以上の基本的な概念を説明することで、より立ち入った議論の説明を行うことができる。まず、バトラーが本文において分析するフロイトの文献は、『悲哀とメランコリー』という論文である。このタイトルにある悲哀とは、対象の喪失による正常な悲しみのことを指す。この過程を経て、リビドーの対象が切り替わる。具体的に言うと、愛する人やものを失ったとき、人は一時的にその愛の方向を失い、虚ろになるが、次第に新たなリビドーの対象を見つけ、回復していく事例などを指す。

 対して、タイトルの後半、メランコリーとは、古くはうつ病を引き起こす体液、黒体液のことを指すが、フロイトにおいては、過度な悲しみのあまりに、ある人が対象の喪失を理解できず、対象を失ったリビドーが自我に向けられる現象のことを指す。愛する対象の理想像が自我に向けられるため、自己批判的になり、自分を傷つけるようになるという。またこの現象は、自我に関心が集中するため、自己愛的な退行でもある。

 このメランコリーという用語は、本来は、精神病を説明するためにフロイトが取り入れた概念だが、後の著書、『自我とエスにおいて、子どもの発達過程にも適用されるようになる。子どもが、同性の親への同性愛を断念し、それを自己の内に取り込むということと推測される。この過程は、同性愛タブーという用語と同義である。

 タブーにはもう一つの類型がある。それは近親姦タブーであり、これは、子どもの異性の親に対する所有の欲動を抑え込む超自我、つまりエディプスコンプレックスのことを指していると思われる。また、メランコリーによって自己の内部に生まれる批判的な自我、つまり同性愛タブーによる規範意識の発生も、超自我の一種だと推測される。

 

③ 補足、疑問点(主にフロイトに対して)

去勢不安、去勢コンプレックス男児が父親から去勢されることに恐怖し、父親に従うようになる現象。言っていることがよく分からない。なぜ性器を取られると思い込むのか?男の同性愛は、自分が女になるという恐怖を感じるということ?

男根羨望…女児が自身に男根がないことを不安視する現象。イリガライが女性器の分析を展開するのは、こうした、フロイトによる男性器の優越、女性器への無視が根底にあると見られている。こちらもよく分からない。「人間の欲望はリビドー(性的な欲望)に基づいている」という前提を固持しようとしすぎただけなのでは?

フロイトの『悲哀とメランコリー』(1917)の論文は、超自我の概念が初登場した『自我とエス』(1923)よりも前であることに留意してほしい。メランコリーとは元々病気の概念である。それが発達の概念として取り入れられるということは、人間は皆一度、精神病を経て大人になることを意味する。個人的に、なんだかそれはおかしな話であるように思われる。この前提を無視して話を進めてよいのだろうか?

※2021/4/30 加筆…むしろバトラーは、こうしたフロイトが前提とした概念の馬鹿馬鹿しさを暴いたと見ることができる(誰もおかしいと思わなかったのか?)。

 

④ 当該節の要約

 フロイトは、子どもの発達過程において、二つのタブーによって、ジェンダーアイデンティティが獲得されていく様を分析している。その過程は以下のように進む。まず、子どもは両性愛を抱く。子どもはその際、主に同性の親を愛そうとするが、それが不可能なため(理由は不明)、メランコリーを起こし、自らの内に同性の親の振る舞いを同化する。そうして子どもは自らの性別を同定していき、今度は、異性への愛に集中する。しかし、その際に、同性の親が子どもの前に立ちはだかり、この異性愛は頓挫する。結果として、子どもは異性の親への愛を諦め、この二つの愛の諦め(タブー)が生み出した規範、つまり超自我が、その後の子どものジェンダーアイデンティティを定めていくこととなる。

 しかし、この過程を実在するものとして捉えることは、誤った基盤主義(本質主義)を生み出しかねない。これらの成立過程は隠蔽されている。子どもは本来、より様々な対象を愛せるのかもしれないし、自らに性別を付与する必要もないかもしれない。こうした理論による正当化、つまり法は、我々に模範像を押し付け、そこから外れぬように抑圧してくる。

 

〈参考文献〉

ジュディス・バトラージェンダー・トラブル』竹村和子訳、青土社、2018年。

・鈴村金弥『人と思想 フロイト清水書院、1966年。

フロイト「悲哀とメランコリー」『フロイト著作集6 自我論・不安本能論』人文書院、1970年(以下のサイトから、「悲哀とメランコリー」についての要約を載せているものを見ることができる。今回は時間の関係上、筆者もこの要約程度しか遡れていないため、精読とは程遠いものになっているかもしれないが、ご了承いただきたい)

https://s-office-k.com/midfreud/mourning (「喪とメランコリー」、心理オフィスK)

自分が今までに見た映画を雑に振り返る。

夜寝れないときに、今まで自分が見てきた映画の感想を思い出して簡単なメモを作ってたので供養しときます。映画初心者なのでお手柔らかにお願いします。一応公開年順です。おすすめの映画があればどうぞ教えてください。

☆特に気に入った5本。人情モノ大好きかお前?

・『トゥルーマンショー』(1998)…最高。一番好きな映画かも。心理学的な比喩が混じっている気がする。トゥルーマンは同じ挨拶を繰り返す。挨拶の意味はだんだんとすり替わる。自分の日常が崩壊したとき、彼はいつもの挨拶をして「スタジオ」を去る。何が起きようとも、自らを肯定する強さ。彼は本当の意味で「スター」になる。しかしまた一方で、彼は消費されるものでしかなく、多くの人々にとっては感動的なドラマで終わる。最後にチャンネルを変える人々。消費への批判。

 

・『ターミナル』(2004)…良作。スピルバーグ侮るなかれという感じ。宗教的モチーフがある気がする。空港内は一つの「小さな世界」。彼は右も左も分からずにここに放り出され、戸惑いながらも適合していく。最終的に、彼は大きな世界へと生まれ直す。動機は何でもいい。むしろ小さな、それでいて高邁な願い。ささやかな願いの美しさは素晴らしい。

 

・『落下の王国』(2006)…良作。作者は綺麗な世界遺産をカメラに収めたかっただけのような気もするけれど、それ以上の深みを生み出している作品。映像が我々に与えてくれる勇気。降りかかる死を乗り越えて、何度でも生を肯定せよ。スタントマンを讃えよ。

 

・『最強のふたり』(2011)…最高。文化と人種の差を超える。健常者の生活とケアの差異を描く。人間らしさを損なわぬ介護。

 

・『スペシャルズ』(2019)…最高。『最強のふたり』の監督の最新作だけど、日本だとあまりやってなかったかも。なので一番布教したい作品でもある。どうやって障害者の役作りをしたのかが気になる。まードチャクソに泣いた。人間ってすごい。ヒューマニズムの極致。

 

☆名作とされている作品たち。一部理解できなかったので詳しい方教えてください。

・『2001年宇宙の旅』(1968)…意味不明。ここから全てのSFが始まったんだなという点ではすごい。

 

・『ゴッドファーザー』(1972)…何が面白いのかわからんかった。しかも長い。家父長制キッツという感想しか抱けなかった。人の縁を重要視するイタリアの家族観は、日本のそれとそっくりで、歴史的事情としては面白いと思った(すぐにでも消えてほしい文化ではあるが)。ジョジョ5部のおかげ。

 

・『スタンドバイミー』(1986)…あんまり面白くなかった。懐古趣味。MOTHERとポケモンのおかげ。原作スティーブン・キングってマジ?

 

・『ダンスウィズウルブズ』(1990)…まあまあ。異なる文化を理解しようとする監督の姿勢はよいと思う。ただ、ヒロインが結局白人だったり、別のインディアンコミュニティを悪として描いてる点はうーんという感じ。あと結末が悲惨な気しかしなくて(歴史的には確かに悲惨かもしれないけど)、視聴後はちょっとモヤる。

 

・『ショーシャンクの空に』(1994)…最高。どんな状況下でも希望を持っていたいという気持ちになる作品。もし自分が彼だったとして、下水道500メートルを下りきれるだろうかという想像が脳裏にチラつく(無理だ~)。これと『スタンドバイミー』は同じ短編に収録されているらしい(本作のテーマは「春」で、スタンドバイミーは「秋」)。

 

・『戦場のピアニスト』(2002)…良作。正直自分からするとゲルマン人ユダヤ人の区別が分からない(特にひげがない場合)のでそこにビビったという与太話。しんどい作品ですが、一見の価値あります。

 

・『ダークナイト』(2008)…良作。モチーフに相当凝ってる気がする。考察が捗る映画。ヒロインが主人公の足枷にしかなってないとことかはちょっと不満。

 

・『インビクタス/負けざる者たち』(2009)…良作。マンデラ大統領の白人との和解を描いた作品。面白くないかもしれないけど、むしろこういうのは美化しすぎてもいけない気がする。融和の物語は基本、強者からしか語りえないので。むしろ今のご時世だと、不満を抱く人たちのほうが多いかもしれない。

 

・『インセプション』(2010)…まあまあ。主人公の男が未練がましくて見てられない。映像や構成は凝ってる。

 

・『レ・ミゼラブル』(2012)…微妙。ミュージカルの歌はよかったけど、それ以外何を楽しめばいいのかよく分からなかった。ジャンは結局、養子の娘のために生きたいの?皆のために献身して生きたいの?献身の実際描写が少ないから、ジャンがいい人だというのが分かりづらい。要はキャラの行動の心理が全然読めない。もっと端的に描いて欲しいと思ってしまう。

 

・『万引き家族』(2018)…良作。くだらなくもあるし、切実でもある。人間の愚かさとたくましさを感じる作品。避妊をしっかりして、安易に子どもを産まないようにしよう!これぐらいしか言えない。

 

・『ジョーカー』(2019)…言わずと知れた名作。面白かったけど考察サイト色々回って意見を集めてしまったので、自分らしい意見は書けないと思われ。でもそれぐらい考察のしがいがある映画。

 

・『パラサイト』(2019)…良作。こちらも貧乏がテーマ。でも展開がダイナミックで、話がポンポン進む。見ていて飽きない。途中もオチも相当しんどいけど、この堪える感覚こそ監督が伝えたいことだと思う。もっと「わきまえず」に生きようと思った。あと監督がおすすめしてた白黒バージョンも見たい。

 

☆エンタメ枠。軽く見れるってことも大事っすよね。

 

・『マトリックス』(1999)…王道すぎてあんまり。なんかもっと哲学的な作品かと思ってた。チャチなカンフーすき。敵のおっさん(エージェント・スミス)の演技がいい味してる。

 

・『シックスセンス』(1999)…良作。ホラーとお涙頂戴のバランスがいい。「オチを調べないで!」と頼むだけのことはある。

 

・『イップマン 序章』(2008)…カンフー映画独特の動きすき。淫夢御用達の知将MURが出てくる作品はこれね。大日本帝国が悪役なのは事実ダルォォン!?人気で三作作られたけど、どれも見どころさんたっぷりでいいゾ~これ。

 

・『ベストキッド』(2010)…カンフー映画初心者でも見やすい王道作品。リブートだけどいい感じにブラッシュアップされてて、バランスのいい作品になってると思いやす。

 

・『シン・ゴジラ』(2016)…良作。邦画にも歴史ありなのね~と感心した作品。蒲田くんの気持ち悪さすき。石原さとみのガバガバ演技も一周回ってすき。現実の官僚の皆さんもこれくらい有能だったらいいわねという感じ。

 

・『search/サーチ』(2018)…まあまあ。映像の工夫がよかった。パパの演技と行動がちょっとつんのめりすぎて息苦しさはあったかも。

これからのシモーヌ・ヴェイユとフェミニズムのために

1. 序論

 筆者は、前回シモーヌ・ヴェイユを題材としてレポートを書いた(以下参照)。

 そこでは、神へと至る信仰の愛を「女性的なもの」として解釈した。しかし、信仰はあまりに深淵である。この現代において、全ての人が至らなければならない道ではない。そもそも、レポートで扱ったような女性の表象では、「真理としての女」から逃れられていないと自分でも思う。ゆえに筆者は、別の形でヴェイユを理解し、それを人に伝える必要がある。

 また、ヴェイユフェミニズムの間に何の関係があるのかとも言われることもあるだろう。彼女は女性であったが、フェミニズムの提唱者であるボーヴォワールと問題意識を共有することはできなかった。ゆえに、本論では、ヴェイユの思想がフェミニズムに呼応しうるのかどうかを検討する。流れとしてはまず、ヴェイユボーヴォワールが交わした会話について、バトラーの問題意識と絡めながら、その意図を探る。その次には、現代の人々にも有効と言えるヴェイユの思想の方向性について考える。最終的に、ヴェイユの思想はフェミニズムと関わりうることを主張する。

 

2-1. 口論—ヴェイユボーヴォワール

 前述したように、ヴェイユは生前、ボーヴォワールソルボンヌ大学で出会ったことがある。このことはボーヴォワールの自伝『娘時代』に記されている。二人はその際、飢餓の問題について話し合った。ボーヴォワールが精神の解放、権利の獲得について説いたのに対し、ヴェイユはそれを一瞥して、「あなたは一度も飢えたことがないってことがよく分かる」と返したという。このことは、何を意味すると言えるだろうか。筆者としては、この発言は、単に不幸の相対性を言っているのではないと考える。そもそも、人は飢えなくなったところで、そこには無限の不満が続く。不幸や不満は人によってさまざまなのだから、本当の問題は、それらを自身の抱える一様の問題意識に区切ってしまうところにある。自分の権利を認められたいがために、飢えた隣人の苦しみを忘れる。その感性こそ、ヴェイユが嫌ったものだと読み取られよう。

 

2-2. 捨象―バトラーとヴェイユ

 上記と似た指摘は、フェミニズムの新たな次元を切り開いた哲学者、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』にも見られる。バトラーは、本書の第1章第1節において、「代表/表象representation」の暴力性について論じている。「代表/表象」という語は、女性という枠組みの代表者を選び出し、その存在を可視化し、正当化するプロセスを担うものであるが、一方で、言語を規範化する力によって、女性という主体の範囲を規定し、統一的な女性像を念頭に置かせるものにもなりうる。これはつまり、その女性という枠組みから外れている人たちを排除することを意味する。バトラーは、そうした姿勢はフェミニズム帝国主義(男性中心主義)と同じものにしかねないと指摘し、女性というアイデンティティ(同一性)を先に規定することは、フェミニズムにふさわしくないと述べる。本人の言葉では以下のように述べられる。

 

フェミニズムの主体という基盤があると断言してしまうことで、権力の磁場がうまく目隠しされてしまい、そしてその目隠しされた権力の磁場のなかでしか主体形成がおこなわれないなら、フェミニズムの主体というアイデンティティなど、けっしてフェミニズムの政治の基盤としてはならない。おそらく逆説的なことだが、「女」という主体がどこにも前提とされない場合にのみ、「表象/代表」はフェミニズムにとって有意義なものとなるだろう。(『ジェンダー・トラブル』p.26)

 

 そのため、フェミニズムには、これまで封じられてきた声を上げるのと同時に、苦しみの内容は人それぞれ異なるという事実を理解することが求められる。そのためには、お互いの声を聞くこと、傾聴する精神を養うことが必要になる。筆者はここで、ヴェイユの重要な用語の一つである「注意力」という語を説明したい。

 注意力とは、対象をあるがままに受け止めようとする努力のことである(冨原 1992, p.83)。物事に対する予見を持たぬようにすることは、日々の暮らしの中ではほぼありえず、これは訓練を必要とする難しいもの、稀なものであると言わざるを得ない。しかしこの、結果を求めることのない注意を持つことができるのであれば、それは現象の奥にある、幾重にも折り重なった「読み」[1]を受け取る力を我々に与えてくれる。この注意力を、「真空」に向けるならば、それは全き神への愛となり、それを他者に向けるならば、それは正しい意味での隣人愛となる。前者を誰もが求めるわけではなくとも、この注意力という言葉の意義は、私たちに大事なものを教えてくれると言えよう。ヴェイユ自身はこう語る。

 

全き隣人愛(他者への注意力)とは、あなたを苦しめているものはなにか、と問うことに尽きる。不幸なひとが集合体を構成する一単位としてではなく、《不幸なひと》のレッテルを貼られた社会的範嘩に属する一員としてでもなく、ある日、不幸の打撃をうけて模倣をゆるさぬ不幸の格印を押されてはいるが、われわれとまったく変わらない人間として実存することを知ることだ。(「学業の善用をめぐる省察」『神を待ち望む』p.103)(括弧内は筆者)

 

 3.接続―これからのヴェイユフェミニズム

 この現代において、誰しもに形而上学的次元、宗教的な次元が必要だとは筆者も考えない。しかし、「巨獣」[2]に惑わされるほかない人々は大勢いる。それは不幸である。その不幸と向き合うために、ヴェイユの思想はきっと役に立つ(そもそも注意力は、有用と無用の観念によって振り分けられる人間の感性に抗う力を育てる)。そのために筆者は、ヴェイユの問題意識と、現代のフェミニズムの問題意識を繋げて捉えていきたい。以下にはその指針を示す。

 まず必要なのは、巨獣(集団の「正しさ」)と神(真に正しい認識)を見分けられるようにすること、労働者(祈りを持たない人たち)自身の文化を作ることである。長い歴史を持つ文化や教養を、労働者自身が引き継ぎ、組み換え、自らの手になじませる工夫をもたらす。これは生前のヴェイユがなそうとしていたことである[3]

 前回のレポートにおいて筆者は、ヴェイユの民間伝承の解釈を追うレポートを作成した。ヴェイユが民間伝承に注目した理由は、歴史による選定を耐え抜いた物語の中には、神と人間の関係などの、普遍的な真理が見出されると信じていたためである。彼女にとって文化とは、そういった過去との接続という「根」[4]を介して、人の心の糧となるものであった。文化や歴史の継承が欠かせないのは、彼女のそうした意識に由来している。この「根」こそが、巨獣の暴走に耐え得る内省を、激情に依らない正しい認識を育てる。

 次に必要なことは、人々の注意力を培うこと、配慮の必要性を社会的に承認することである。一口に配慮と言っても、そこにはさまざまなものが当てはまるが、筆者としては目下のところ、これまで多くが女性によって担われてきた、家事、育児、教育、介護などのケアの労働を想定しており、それらの立場を再考する必要があると考える。ただし、注意力の養成についてはむしろ、安易に行動をせずに「待つ」ことを我々に求める。「注意attention」という語は、「待機、待望」を意味するラテン語「attendare」に由来しており、前述したように、苦しみを言葉にする力を持たない人たちがそれを言葉にできるまで、じっと待ち続ける力を我々に与える。その待つ時間を、個人の努力に全て求めるのではなく、社会的に認めることが必要だと筆者は考える。現在、ケアの労働は、社会のどこにおいても非常にひっ迫しており、ケアを受ける側の声も、ケアの実践者側の声も、十分に聞くことができていないのが実情である[5]。公的なサービスによって運営されているケアの労働は多いが、精神的余裕のない彼らだけに負担を押し付けることは明らかにおかしい。ゆえに、今の社会に求められることは、ケアの労働の必要性を知り、彼らの社会的地位を上昇させること、人員不足などの諸問題を解決することにあると言える。

 

4.結論

 本稿ではこれまで、前期に書いたヴェイユのレポートを見直しながら、それをより現代的なフェミニズムの問題意識に合わせて、ヴェイユの思想がフェミニズムに呼応する可能性を探ってきた。結論として、ヴェイユの思想は、苦しむ隣人の声を引き出し、それを受け入れる力を養う、注意力を中心に据えたフェミニズムの可能性を持っていることが明らかとなった。

 本論においては、やや強引にケアの倫理についての話題を加えながら議論を進めたが、これに対しては、まだ筆者自身の理解が足りていない節がある。そのため、これについても今一度勉強し直しながら、さまざまなフェミニズムの思潮への理解を深めていきたいと思う。

 

〈参考文献〉

シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』冨原眞弓訳、岩波文庫、2017年。

—『根をもつこと』山崎庸一郎訳、春秋社、2009年。

—『神を待ち望む』渡辺秀訳、春秋社、2009年。

栗田隆子シモーヌ・ヴェイユにおける『社会的なるもの』と『隣人愛』をモチーフに女性の『声』について考える」、『臨床哲学』、19巻、2018年、pp.128-145。

・冨原眞弓『ヴェーユ』、清水書院、1992年。

ジュディス・バトラージェンダー・トラブル』竹村和子訳、青土社、2018年。

ファビエンヌ・ブルジューヌ『ケアの倫理—ネオリベラリズムへの反論』原山哲・山下りえ子訳、白水社、2014年。

 

計4060字(表題部除く)

 

[1] 「読み」については、前回のレポートの注、もしくは『重力と恩寵』29章「読み」を参照。

[2]「巨獣」とは、自分で自分をコントロールすることのできない、集団の感情を比喩したものを指す。筆者としては、バトラーが批判した、女性というアイデンティティが先行するフェミニズムもまた、巨獣に飲み込まれうると推測する。言葉の説明自体については、前回のレポートも参照。

[3] 彼女は女工として働いていたころに、同僚に文字の読み書きを教えるために、ギリシャ悲劇の『アンティゴネー』と『エレクトラ』を翻案し、それをテキストとした。これは、日々搾取を受け、苦しい立場にある労働者であれば、たとえ文字を知らずとも、悲劇により共感することができると彼女が考えていたためである(冨原 1992, pp.124-127)。

[4] 「根」はヴェイユが最晩年の1943年に書いた、フランス憲法草案のための覚え書き、『根をもつこと』における重要な用語である。本書においてヴェイユは、根を失い、人間としてのあらゆる存在意義が奪われることの悲惨さと、根による紐帯を介して人々を繋げる意義、つまり国民が依拠すべき国家の「根」である憲法や歴史に必要な姿勢を述べる。

[5] 具体的には、介護や保育における事故(個人の場合、介護殺人など)や、教員の過労死、介護職員の低賃金、人員不足の問題などが挙げられるだろう。